「日本サッカーの父」クラマー氏死去
皆様こんばんは。
日本サッカー界の発展に多大な貢献をしてくれたデットマール・クラマー氏が死去、との事です。
1960年:五輪を控えたサッカー日本代表指導のため来日。
64年:日本を8強入りに導く。
65年:国内リーグの必要性を説き、日本サッカーリーグ設立。
当時マイナースポーツであった日本のサッカー発展に大きく貢献してくれた人物でした。
ご冥福をお祈りいたします、ありがとうございました。
私は学生時代関東でも屈指の強豪サッカー部にいたのですが、一般入試入部の私は推薦入部の選手の努力実力に及ばず、遂にトップチームには一度も昇格する事が出来ず、途中から裏方としてチームの為にサポートする道を選びました。
試合や合宿の手配等マネジメントやサポート、グランド整備、ライバルチームの偵察と戦力分析、予算など事務方、2軍以下はコーチがいないので2軍に入れない選手や新入生の練習メニューやプランの作成、そして入れ替え戦などでは3軍の指揮もとっていたりしました。
勿論これらを一人でこなしていたわけではなく、他のマネージャーと協力しコーチに色々教わりながら行っていたんですが、この時辺りから『チーム(組織)のマネジメント』に強い興味が出てきて、結構マネジメント等の本を片っ端から読み漁ったりしました。
ちなみに当時メジャーだったこんな本も…
- もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
- 著者:岩崎 夏海
- 出版社:ダイヤモンド社
- カテゴリー:本
※それまでドラッガーなんて名前を知らなくて、恥ずかしながら初めて聞いたときは『麻薬中毒の人か』と思っていました。
確かこの頃監督からクラマー氏の話を聞かされたと記憶しているのですが…。
最後の大会でチームが敗れた時、ロッカーで皆泣いていて、でも私は選手じゃなくてマネージャーで…勿論悔しさや悲しさはあるんだけど、負けた事を実感出来てないのか何故か涙は出てこなくてただ呆然と泣きじゃくる皆を壁にもたれながら眺めてたんですが、悪魔で鬼だった監督が最後に「マネージャーもチームのために最後まで付いて来てくれてご苦労だった…ありがとう」って握手した途端涙が出てしまって。
「今来られたらヤバイんだ、馬鹿」ってタイミングで選手全員が一人一人握手を求めながら「マネージャーありがとう」って言うから堪えきれなくて遂に号泣…。
(あぁ…負けたんだ…。悔しいなぁ…)って実感しました。
学校に戻って解散し、試合のデータをまとめたノートを監督室に持っていったんですがヤクザ顔負けの鬼だった監督も涙してて。
「監督…コレ今日の試合のノートです…(鬼の目にも涙、か…。明日全員に「監督泣いてた」ってバラそう…)」
退室した時、(あぁ、やっぱり監督も悔しいんだ…選手もだけど監督もこのチームのためにって想いは一緒だったんだもんな)と。
この時以前監督から(あれ?コーチから、だったかも)聞いたクラマー氏の話を思い出したんです。
1968年、日本が3位決定戦で苦闘の末に開催国メキシコを破り銅メダルに輝いた試合の後の事なんですけど確かこんな話でした。
『選手は選手村に帰った後試合の死闘で疲れ果てベッドに倒れて眠りこけた。その疲れ果てて眠る選手をクラマー氏が眺めながら「大和魂が、今目の前にある」と涙を流した』。
50年前にクラマー氏が日本サッカー界に築いたものは、確実に今も息づいている…そう思わずにはいられません。
ありがとうございました!
- 大和魂のモダンサッカー―クラマーとともに戦った日本代表の物語 (サッカー批評叢書)
- 著者:加部 究
- 出版社:双葉社
- カテゴリー:本